翻訳と辞書 |
カスティリオーネの戦い (1706年) : ウィキペディア日本語版 | カスティリオーネの戦い (1706年)
カスティリオーネの戦い(Battle of Castiglione)は、スペイン継承戦争における戦闘の1つで、1706年9月8日に現在のイタリア・ロンバルディア州マントヴァ県のカスティリオーネ・デッレ・スティヴィエーレでヘッセン軍とフランス軍が衝突した。メダヴィー伯爵率いる守備隊が勝利した。 == 戦闘 == フランスのイタリア方面軍司令官のヴァンドーム公ルイ・ジョゼフ・ド・ブルボンは1706年5月以降、サヴォイア公国の首都トリノを包囲していて、さらにガルダ湖周辺にも軍を配置してオーストリア軍の進路を封じていた。しかし、フランドル方面でフランス軍がラミイの戦いで大敗、ヴァンドーム公はそちらでの戦力補強に回された。イタリア方面の指揮は経験不足なオルレアン公フィリップ2世が引き継いだ。これを知ったオーストリアの司令官プリンツ・オイゲンがトリノに駆け付けたためオルレアン公はやむなくガルダ湖のフランス軍を呼び戻し、アルプスを越えてやってくるかもしれないオーストリア側の援軍を見越して呼び戻したフランス軍の半分をアディジェ川に配置した。 オルレアン公の予想通り、ヘッセン=カッセル方伯子フリードリヒ率いる軍勢がアルプスを越えてカスティリオーネを包囲した。メダヴィー伯爵率いる守備隊は反撃に打って出て、見事に勝利した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カスティリオーネの戦い (1706年)」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|